【理論探究-1】ケアの倫理から法を再構築する

1.はじめに

 多くの人は小さい頃、周りの人たちから、人に優しくすること、家族や友達といった周りの人たちを大事にすることの大切さを説かされたことがあると思います。スポーツができなかろうが、勉強が苦手であろうが、人を思いやることこそがまず何より大切であると言われたこともあるのではないでしょうか。私が生活したことのある英国や豪州では子どもがけんかのときによく、that’s unfairとかthat’s not fairと口にするのを耳にしました。不公平だ、ずるい、ということですね。これが人として許せないと感じる、あるいは自然に湧き出る感情の一つなのだろうと思います。

 もちろん、この世に完ぺきな人は誰もいませんし(vulnerable)、人は誰一人として、一人では生きていけません(英語で、”No man is an island”といいます。)。実際、人とかかわるということは、愉快なことばかりではなく、むしろ煩わしいと感じられることのほうが多いかもしれません。しかし、それでも人は、家族や友人などを支え、支えられながら生き、人とのよりよい関係性を構築しようとするのです。

 法は従来、こうした他者との良好なあるいは公平・公正な関係とか「思いやり」とは無縁のものと考えられてきました。あるいは、「思いやり」は、法の表舞台にはほとんど登場しなかったといって良いかもしれません。法とは、権利、独立、自律、自由、個人主義といった概念に貫かれた思考体系であり、一たび紛争が起これば、一刀両断で結論を出すべきものであるとされ、こうした法のあり方に対し、人間味がなく、無味乾燥でつまらないと感じられることもあるのではないかと思います。あるいは、幼少期から教えられてき公正・公平な関係の重要性を法の世界で追求することは許されないのか、「思いやり」が大切だと言われたのは何であったのか、個人及び社会にとって不可欠であり奪われてはならない物を実現するためにこそ法が存在するのではないのか。こうした疑問を抱いたことがある人は、私以外にも、多少なりともいらっしゃるのではないかと考えます。

 ところが、残念ながら、日本では、上記のような疑問に正面から応えてくれる議論は、少なくとも法学上、ほとんど発展していません(もちろん、「思いやり」の精神をもった優れた法律家は存在します。)。法の窓を通して見える世界はいまだ、互いの権利又は利益がうごめく、対立的ないし競合的な世界として描かれ、それが当然視されています。これは民事、刑事といった分野をといません。

 しかし、こうした他者との関係性・思いやりと法の世界とは、本当に水と油のように、相入れないものなのでしょうか。法の世界に足を踏み入れた途端、我々は「思いやり」を捨て去るか、又は心のどこかに仕舞い込まなければならないのでしょうか。

2.フェミニズムという壮大な思考体系

 私は日本で長らく実務を経験した後、上記のような疑問を抱きながら、英国に留学しました。非常に興味深いことに、英国では長年、上記のような疑問に対し、真摯に取り組む学問が発展してきました。それが、広い意味におけるフェミニズムと呼ばれる考え方です。

 フェミニズム又はフェミニストといっても、多様な考え方があり、一つの明確な定義を定めることは不可能に近いといえます。にもかかわらず、日本では、これらの用語は、フェミニズムの紹介のされ方にも問題があるのか、条件反射的に、拒絶反応ともいえるほど強い反発を招くことがあります。

 しかし、少なくとも私が留学した英国では、法分野、特に人権法や家族法、労働法といった分野においてフェミニズムの考え方を知ることは、必須と考えられているように思います。実際、フェミニズムは、英国の法理論の発展に極めて大きく貢献してきました。その理由は、フェミニズムは、多様な考え方を包含するとはいえ、その根本として、従来の政治、法、経済等のあらゆる概念体系の前提となる土台ないし構造を根底から批評し、問い直す思考体系であるといえるからです。換言すれば、これまでの法の思考体系がコインの表面であるとすれば、フェミニズムはその裏面にあたるものといえます。両者を知らないで法を完全に論ずることはできないといっても過言ではありません。

 日本では、こうした認識が極めて乏しく、フェミニズムがまるで男性を敵視する学問であるかのような、極めて限定的な狭い視野で捉えられています。これは大いに反省されるべきことだと思います。フェミニズムに賛同するかどうかという点を超えて、ある種の教養として、法概念と一体のものとして、フェミニズムの考え方が紹介される必要があます。また、フェミニストとは、定まった定義がないとはいえ、英国家族法の発展に多大な影響を与えてきた英国最高裁ヘール元長官(女性初の英国最高裁長官)は、あるインタビューにおいて、フェミニストを以下のように定義しています。この定義はわかりやすく、この定義であれば、広く受容可能なものではないかと思います。

“I am definitely a feminist because I define feminist as being somebody who believes that women are the equals of men and that their experience and perspective are as valid as the perspective of men. And I think that is a sort of soft feminism, obvious feminism really; a lot of men would say exactly the same. I mean you could be a man and be a feminist and you can be a woman and not be a feminist. But I am not the sort of feminist that doesn’t like men. I value them and their perspective. It’s equality I believe in.”

3.ケアの倫理から法を再構成する

 さて、他者との公平・公正な関係や「思いやり」と法の世界の関係に戻りましょう。

 この点は、アメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンの存在を抜きには語れません。彼女は、その論文(”Moral Orientation and Moral Development”[1987])の中で、若い女性と老いた女性がともに1枚の絵の中に描かれた騙し絵を、上記世界の関係に例えています(みなさんも一度は見たことのある絵だと思います。)。だまし絵では、最初は、どちらか一方の姿しか見えません。しかし、その後、その絵に、最初に認識した姿以外にもう一つのイメージが隠されていることがわかります。ところが、両方の女性の姿を認識するに至っても、いずれか一方のほうが見えやすいという状況には変化はありません。

 彼女はこれを、法の世界において、権利等を中心とする「正義の倫理」(ethic of justice)が可視化され又は支配しており(最初から見え続けている姿)、「ケアの倫理」(ethic of care)は不可視化され又は重視されていない(後に見えるようにはなるが、重視されない姿)であることを示しました。後に明らかにするように、この「ケアの倫理」は、フェミニズムの中でも賛否両論の多い概念です。しかし、少なくとも言えることは、「ケア」、つまりその内実の一つといえる他者との関係性や「思いやり」という考え方は、決して法の世界において捨て去られるべき誤った考え方というわけではない、ということです。

 実際、「ケアの倫理」を、法の世界において結実させようとしているのが、英国オックスフォード大学法学部のジョナサン・へリング教授です。彼は「ケアの倫理」によって法の世界を再構築することを目指しています。すなわち、(育児や介護を含む)ケアこそが社会生活の核心であり、法もまたケアの関係性(互いを支え合う関係性)を促進すべきだというのです。我々が小さい頃から教えられた、人として素直なありかたや感情を、法の中心に据えるべきという考えといってもよいでしょう。もちろん、「ケアの倫理」自体は、欧米社会を中心に主張されてきたものですが、この考え方は、もとより他者との関係性を重視する日本にも親和的であるように思います。少なくとも私は、へリング教授の見解に深く賛同し、これまで同教授と交流し、ケアの倫理から子の福祉を検討する「関係的福祉理論」についての論文(著作・執筆参照)も書いてきました。我々は、人として、「思いやり」の大切さを法の世界において持ち続けていいのです。

4.本シリーズの構成

 本シリーズはまさに、こうした「ケアの倫理」を法の世界に取り込み、法の再構築を目指すための一つの試みです。確かに、日本でも「ケアの倫理」自体を紹介する優れた論稿は存在します。しかし、残念ながら、この「ケアの倫理」を法の世界にあてはめようとする議論は、ほとんど見当たりません。もちろん、この試みのためには、前提的作業として、フェミニズム一般の考え方を知る必要があります。これらの一般論をご紹介したうえで、「ケアの倫理」とは何か、「ケアの倫理」を実際どのように法の世界で活かすことができるのか(さらに本来は、日本の精神性とケアの倫理の関係についても検討される必要があるでしょう。)について、特に家族法分野のうち子の利益・福祉の分野において検討することにしたいと思います。そして、弁護士(実務家)として、「ケアの倫理」が机上の空論なのではなく、実務において活かせることを示したいと考えています。

 本シリーズは、以下の構成で進めます。本シリーズが少しでも日本における法のあり方そのものを見つめなおすきっかけとなれば幸いです。

  • 総論:
    • ケアの倫理から法を再構成する(←今回はここ)
    • フェミニスト法理論①:系譜(形式的平等からケアの倫理、インターセクショナリティまで)
    • フェミニスト法理論②:ケアの倫理を法理論に昇華する
  • 各論(家族法の文脈で):
    • 関係性理論の適用
    • 関係的福祉①:子の利益(共通性と相違点)
    • 関係的福祉②:子の利益(英豪との比較)
    • 関係的福祉③:子の利益(日本法の文脈から)