【理論探究-2】 フェミニスト法理論①A

「ケアの倫理」 (ethic of care / care ethics)

1.はじめに:本ブログのテーマ

 本ブログは、連載「ケアの倫理から法を再構築する」の第2回目です。

 私は、ケアの倫理とその前提としてフェミニズム・フェミニスト法理論と呼ばれる考え方を学ぶことが、これらの日本法(特に家族法や労働法分野)の理論の発展にとって重要なものと考えています。すでに私は、ケアの倫理を応用した関係的福祉理論と呼ばれる考え方を紹介する論文(判例時報2417号、「離婚後の子どもをどう守るか」)を執筆してきました。

 しかし、ケアの倫理とそこから導かれる脆弱性・関係性理論を理解するためには、その前提として、フェミニズム又はフェミニスト法理論と呼ばれる一般論を理解することが必要であり、有益です。上記論文では残念ながら、紙幅の関係上、この前提的作業まで含めることができませんでしたので、本ブログにおいてそのさわりを紹介したいと思います。

 ところで皆さんは、フェミニズムと聞いて何を想像されるでしょうか。前回ブログにも書いたように、フェミニズムを一義的に定義することは困難ですし、日本ではときにどうしても男性敵視的な学問と考えられがちです。しかし、法学の世界でいえば、前回指摘したように、従来の(特に西洋)法概念がコインの表面であるとすれば、フェミニズムはコインの裏面にあたるものといっても過言ではありません。なぜならば、フェミニズムは、特に英仏を中心に17世紀後半以降に興った啓蒙主義(Enlightenment。ホッブズとかロック、モンテスキューやルソーとか、あのあたりですね)以来の法概念自体に鋭いメスを入れるものだからです。あるいは、あるフェミニストは、啓蒙主義どころか、はるか昔のギリシア・ローマ神話の叙述にまで批判の矛先を向け、特にその男性中心主義的な世界観を批判することもあります(極めて難解ですが、リュス・イリガライの鋭い批判は有名です)。現に、英国では、前回指摘したように、特に人権法や家族法、労働法等の分野において頻繁に参照され、実際の理論及び実務にも多大な影響を与えています。本ブログでは、そのフェミニズムの系譜、特に法学分野におけるフェミニズムの発展(フェミニスト法理論と呼ばれる考え方)を2回にわけて紹介していきます。

  • 総論:
    • ケアの倫理から法を再構成する
    • フェミニスト法理論①:系譜(形式的平等からケアの倫理、インターセクショナリティまで)【←今回はここ。】
    • フェミニスト法理論②:ケアの倫理を法理論に昇華する
  • 各論(家族法の文脈で):
    • 関係性理論の適用
    • 関係的福祉①:子の利益(共通性と相違点)
    • 関係的福祉②:子の利益(英豪との比較)
    • 関係的福祉③:子の利益(日本法の文脈から)

2.フェミニスト法理論とは

1)序

 私は、留学先の英国University College London、LLM(法学修士課程)において、フェミニズムとフェミニスト法理論という考え方を体系的に学ぶ機会に恵まれました(同大学は明治時代に伊藤博文や夏目漱石らが留学した大学です。漱石などは講義にはほとんど出ていなかったそうですが…)。そのときに紹介された基本・必読文献のうち、下記の文献をあげておきたいと思います。本ブログの以下の叙述も、これらの文献を大いに参照しています。高額ですが、いずれもAmazonで入手可能です。

2)フェミニスト法理論

 フェミニズムについては、法的視点から見た場合、総論的な考え方と各論的な考え方にわけて考えるのが有益です。

 このうち、特に日本で紹介されてきたのは、主として各論的な考え方、すなわち個別の法ないし法制度をフェミニズムの視点から批判する考え方であろうと思います(英語でfeminist criticism of particular lawと呼ばれます)。例えば、日本民法上、離婚後は女性だけに再婚禁止期間という一定期間結婚してはならないという規定が設けられていますが、その規定が果たして合理的なのかという批判等々がこれにあたります。

 他方、日本でこれまで体系的に紹介されてこなかった考え方が「フェミニスト法理論」(feminist legal theory)と呼ばれるものです。これは、上記の各論的な考え方にくらべ、より一般的に、現代法が前提とする構造や理論、手法そのものを批判の対象とする理論の総称(総論)です。したがって、「フェミニスト法理論」の対象は、特定の法分野には限定されません。あらゆる法分野を考察するに際しての思考ツールとなるものです。

 繰り返し述べているように、フェミニズムや「フェミニスト法理論」は様々な主張を内包するものであり、一概にまとめることは困難です。しかし、これらに共通する要素を抽出することは可能といえます。すなわち、伝統的な(西洋)法はこれまで、少なくともロックやルソーらの社会契約論に代表される啓蒙主義以降、(一見すると)性別に中立的でかつ抽象的な人間像(自由意志を持ち、自律・独立し、合理的な人間)を前提に構築されてきました。しかし、これにより、男性が政治や経済、司法といった公の領域を独占し、女性がこれらの分野から長らく排除されてきたことは周知のとおりです。このように、社会が実際には男性支配的(patriarchal)に構成されていることに対する批判が、フェミニズムの核心的な部分を構成してきたものと思います。

 以下、ごく簡単になりますが、フェミニズム全体の流れと関連付けて、「フェミニスト法理論」とは何であり、その主張がどう展開されてきたのかを整理したいと思います。

3)フェミニズムの流れとフェミニスト法理論

i) 同化モデル(assimilation model)

 第一に、フェミニズムの最初の運動といえるべきものは、主に19-20世紀初頭に遡ります。このとき、フェミニズムは、女性と男性を形式的に対等に扱うべき又は同化(assimilation)させるべきであるという運動を展開しました。歴史的に排除されてきた公の領域に女性を進出させるべきという要求です。皆さんも、社会科等の授業で、女性参政権運動について学ばれたことがあると思います。まさにこれがこの運動の代表的なものといえます。こうした形式的平等の要求は、男女の平等が全く実現されていない領域では重要な意味を持ち、実際、女性参政権の獲得等といった重要な役割を果たしてきました。

 しかしながら、このアプローチは、法が男性支配的に構成されているという前提部分にメスを入れるものではなく、あくまで社会を支配している(と考えられる)男性基準に女性をあわせようとするものです。したがって、結局、女性を男性の基準にあわせるだけであり、それゆえ、女性が公的分野に参入したところで女性にやさしい法や政策が実現され、男女の実質的な平等又は結果の平等が実現される保障はどこにもないのではないか、と批判されてきました。

 こうした批判は、「フェミニスト法理論」にも応用されています。その一つが、平等概念(equality)に対する批判です。

 私たちは「平等」と聞けば、それだけで素晴らしいものだと考えがちです。しかし、従来から、フェミニズムでは「平等」概念それ自体を疑う議論が発展しており、「平等」とは何か、仮にこれが男性の基準にあわせるだけの意味しかもたないのであれば、この概念自体無意味であると強く批判してきました。あるいは、平等概念自体は維持するとしても、私たちが追求すべきなのは、形式的な平等ではなく、不利益な立場にある人達の置かれた状況を是正する実質的な平等を実現することであるとする考え方も主張されてきました(憲法の勉強では必ず学ぶことですね)。

 例えば、日本の夫婦同氏強制の問題を考えてみましょう。夫婦同氏強制の問題は、形式的には平等といえるかもしれません。なぜなら、夫婦はいずれの氏も選択可能だからです。しかし、実態をみれば、夫の氏を選択する人が大多数(約90%)を占めており、それは伝統的に男性の家に女性が入るといった日本の家制度以来の根深い考え方が背景にあることは疑いがありません。21世紀の現在もなお、イエを単位とする戸籍制度が残っているのも、その証左といえるでしょう。そして、「フェミニスト法理論」の(一つの)立場からは、夫婦同氏強制は、実際には全くもって対等(実質的平等)なものとは言えず、選択的夫婦別氏制(「選択的」というのがミソです)に改められるべきだと考えることになるでしょう。

 さらに進んで、英米では、裁判所や政治における女性比率等の問題について、平等とは何かという観点からいっそう進んだ議論がなされています。例えば、最高裁判所裁判官の女性比率は、おそらく世界中どの国においても男女対等とはいえない状況にあります(2020年7月1日現在、日本の最高裁15人裁判官のうち、女性はわずか2人だけです…)。

 上記の議論をあてはめると、まず是正しなければならないのは、数の問題でしょう。つまり、女性裁判官を男性裁判官と同数にすべきだという考え方であり、これが形式的平等の考え方です。そしてこれに一理あることは間違いありません。しかし他方で、上記のように、女性と男性を同数(形式的平等)にしたところで、結果的に男性の基準に沿った判断がなされてしまうのであれば、男女の結果の平等が実現される保障はありません。これが形式的平等に対する批判であり、実質的平等を目指すべきという主張です。そこで、現在ではむしろ、大切なのは、性別にかかわらず、真に男女平等を志向する人たち(「フェミニズムリタラシー」がある人たち)を裁判所や政治の世界に入れるべきであるという考えが強く主張されています。

 再度、日本における夫婦同氏強制の問題を例にとりましょう。この問題について、日本の最高裁は、2015年12月16日、夫婦同氏強制を定める民法750条は憲法14条(平等)等には違反しないとする判決を下しました。しかし、この判決では実は、女性裁判官3名全員(当時)のほか、弁護士出身の男性裁判官2名が夫婦同氏強制は憲法に違反するとする反対意見を述べています(ご存知でしたか?)。私が書いた上記のような思考に相当する判断ですが、仮に最高裁の裁判官の半分がフェニミズムリタラシーを持つ裁判官であったとすれば、夫婦同氏強制は違憲であるという判断が出たはずですし、まさにこうした方々を最低でも半数又はマジョリティにしなければ状況は変わらないというのが、現在英米で強く主張されている考え方なのです。なお、英米でも最高裁の裁判官比率は、日本ほどではないにせよ、男性優位であることは変わりありません。しかし、英国では女性初の最高裁長官(ヘール元長官)、また、米国でもギンズバーグ現判事ら、自らフェミニストと名乗る女性裁判官が誕生していることは、社会にとって大きなインパクトがあることは間違いないでしょう。

 なお、英国では、フェミニスト法学者らが、実際に英国で出された裁判所の判決文をフェミニストの視点から書き直すという、「フェミニスト・ジャッジメント」(feminist judgements)という運動していたことがあります。こちらも裁判官に対し、フェミニズムリタラシーとは何かを考えさせる上で大きな意義を持つものであり、大変興味深いものといえます。

ii) 差異を認めるべきという議論(celebrating difference

 第二に、20世紀中盤以降、上記の同化モデルを批判し、男女の真の平等を目指すには実質的な平等を目指すべきであり、特に女性と男性の違いに焦点をあてるべきという議論が展開されました。従来、その代表的論者とされてきたのが、心理・倫理学者のキャロル・ギリガン(Carol Gilligan)です。ケアの倫理の提唱者であり、前回ブログでも紹介しました。

 彼女は、人の道徳観・倫理観について、伝統的に法が前提としてきた抽象的で正義に基づく道徳観とは異なり、より具体的に物事を捉え他者との関係を重視する道徳観が存在することを明らかにしました。すなわち、従来の法概念が前提とする、正義や権利を重視する「正義/権利の倫理」(ethic of justice/rights)のほかに、他者へのケアや思いやりを重視する「ケアの倫理」(ethic of care)という道徳観があることを指摘したのです。本ブログ冒頭の図をみてください。Relationship, relational, response, context, situational, needs等の用語が出てきますが、これらが「ケアの倫理」の中核をなす概念といえます。人は、誰もが脆く(needs)、他者との関係性の中で生きているのであり(relationship, relational)、抽象的で完ぺきな存在ではありえず、個々の具体的な文脈の中で捉えられるべきである(response, context, situational)というものです。この考え方に基づき、法は従来その担い手であった男性の倫理・正義の観点から構成されているところ、女性の倫理や経験を法の中にも取り入れるべきであると主張されるに至りました。

 これに対し、従前、ギリガンの上記の主張は、男性が「正義/権利の倫理」に、女性が「ケアの倫理」に特徴付けられると述べるものであって、男女を固定的に捉えるものだという誤った批判が展開されてきました。全ての女性が必ずしもケアに向いているわけではないのに、男性と女性をある特定の価値観で特徴づけて差異を強調しすぎることは、男女の役割分業(男性は外で働き、女性は家庭で子育てに専念する等々)を固定化することになると批判されてきたのです(日本ではいまだにこの誤解は続いているようで、それが「ケアの倫理」が法学分野においてあまり注目されていない一因なのかもしれません)。

 確かに、男女を固定的に捉えることは大いに問題です。しかし、欧米では現在、ギリガン自身は、このような男女固定的な特徴付けはしていないし、「ケアの倫理」が女性だけに特徴的なものであるとは主張していないことは、もはや共通理解となっています。むしろ、ギリガンが、従来の法概念が前提とする倫理感のほかに「ケアの倫理」が存することを明らかにしたことが重要であり、この点によりいっそう焦点があてられるべきでしょう。そして、「ケアの倫理」は女性特有のものではなく、人間の本質であるとして、これを法の中に取り入れるべきと主張しているのが、前回触れた、英国オックスフォード大学のジョナサン・へリング教授らということになります(詳細は後日説明します)。

 では、フェミニスト法理論がこれで終わりかと言えば、そうではありません。次回は、上記に続くフェミニズムの流れとして、セクハラやドメスティック・バイオレンス等の概念を生み出した「支配理論」(dominance)、さらに現在の第4派フェミニズム(インターセクショナリティ等)とよばれる新しい考え方を紹介したいと思います。そのうえで、再度「ケアの倫理」に戻り、これをどう法理論・実務に昇華させることができるのかを検討していきます。